営業・企画職からWebエンジニアへのキャリアチェンジ。世界の好きな場所で働く生活を実現するまでの道/ かぬさん

営業・企画職からWebエンジニアへのキャリアチェンジ。世界の好きな場所で働く生活を実現するまでの道/ かぬさん

GAOGAOメディアの新企画「海外クリエイター図鑑」です。

この企画のコンセプトは「海外で活躍する日本人クリエイター(デザイナーさんやエンジニアさん)の生の声を知り、海外でチャレンジする敷居をもっと低くしよう」というものです。
海外生活や海外での仕事に興味があるけど、どのようなものなのか想像がつかない!そう思っている読者の方はいませんか?! そんなあなたをターゲットとした企画です。

今回インタビューに応じてくれたのは、タイ・バンコクで生活しつつリモートでWebエンジニアの仕事をしているかぬさんです。
近年別の職種から未経験でWebエンジニアへの転身を目指す方が多くいますが、かぬさんは実現されたひとりです。

かぬ
異職種・未経験からオンラインスクールでのプログラミング学習を経てWebエンジニアに転身。リモートワークで業務委託をしつつ海外の好きな場所での生活を実現。現在はタイ・バンコクに滞在中。
Twitter:かぬ

大学時代のNPO参加が海外への興味のきっかけ

──かぬさんがエンジニアになるまでの経緯を教えてください。

元々プログラミング経験は無く、フィリピン・マニラのソーシャルゲーム開発会社で企画や営業の仕事をしていたときにプログラミングの勉強を始めて、エンジニアになりました。

新卒では日本国内の専門商社に入社し、法人営業の仕事をしていました。近い将来に海外勤務のチャンスがある、という話があり入社したのですが、その計画がなくなり2年で退職。

その後マニラのソーシャルゲーム開発会社に転職し、ゲームの企画や営業の仕事をしていました。
同社在籍中にプログラミングの勉強を始めて退職・日本帰国。

日本のWeb制作会社などでエンジニアとしての経験を積み、現在はリモートでプログラミングの仕事をしつつ、世界の好きな場所に暮らすという生活をしています。

 

──昔から海外に出たいと思っていたのでしょうか。

海外に興味を持ったのは大学生の頃NPOに参加したことがきっかけです。インドネシアの村に数日間滞在して、現地のゴミ問題を「ゴミの再利用」という形で解決しようというものでした。

自分にとって初海外でしたが、インドネシアの国としての成長感や現地の大学生の優秀さに衝撃を受け、「もっと海外に行って知らないものを見てみたい」と思い始めました。このNPOの経験がなければ、今も日本からは出ていなかったかもしれません。

退職・セブ留学からマニラ就職へ

──元々は日本国内で働いていたんですよね。そこからマニラの会社に転職するまでの経緯を教えてください。

新卒で入った会社では、近い将来に海外勤務のチャンスがあるという話があり、それに期待して入社しました。しかしその計画がなくなってしまい、会社にいるモチベーションもなくなり、2年間で退職しました。退職後、一旦東南アジア周遊を挟み、3か月半ほどフィリピン・セブで語学留学をし、英語力を鍛えました。

留学を終えて日本に帰国後、まず転職エージェントや転職サイト経由で駐在員案件を探しました。当たり前かもしれませんが、当時の職歴では入社してすぐに海外駐在できる案件はなく、まず国内で数年間経験を積んで、運がよければその後海外を任される、というパターンがほとんどでした。
それは待てない、すぐに海外に出たいと思ったので、現地採用で探すことに切り替えました。

──就職は最初からフィリピン狙いだったのですか?

元々国にこだわりはなく、シンガポールやベトナム、タイなど、東南アジアの中で広く見ていました。ただ多くの求人が製造業の営業職などで、自分の中でピンと来なかった。求人の中で、マニラのソーシャルゲーム開発会社の企画職が一番給与が高く、IT業界なら将来的にも伸びる分野だと思い、選考を受け無事採用されました。
書類選考後の面接はSkypeのみで、マニラには行ったことがないまま採用されました。笑

──国が日本からフィリピンになっただけでなく、商社からのゲーム開発会社というのも大きな変化ですね。マニラではどのような毎日でしたか?

仕事環境はホワイトで、8時半出社からの17時半退社。残業もほぼなかったですが、その会社で働いたのは1年半です。
入社して半年くらい経ったタイミングで会社の業績が傾き出して「会社の将来が危ないかもしれない」と思い始めました。

業績の悪化により、ソーシャルゲームの企画だけでなく、受託開発の営業やマーケティングの仕事も担当するようになりました。会社の状況もあってなかなか上手く行かず、会社の将来についての不安が大きかったので、その会社を退職する半年前くらいからプログラミングの勉強を始めました。

キャリアチェンジのためにプログラミング学習を開始

──ここでプログラミング勉強ですか!きっかけは何だったんですか?

営業職やマーケティング職は、その国のマーケットが分かっていないとできない仕事だと思います。仮にフィリピンで営業職として数年間経験を積んだ後、インドに移る場合、経験がリセットされるというか、ゼロにはならないとは思いますが、これまでやってきたことのアドバンテージがだいぶ減るじゃないですか。

その時に居る土地の影響を受けない堅実な仕事は何だろうと考えたときにエンジニアだと思い、プログラミングの勉強を始めました。ソーシャルゲーム会社で身近にエンジニアを見ていたので、仕事のイメージがしやすかったのも大きかったですね。

──場所に縛られない仕事としてエンジニアになることを選んだのですね。どのように勉強したのですか?

オンラインで半年間スクールを受講し、主にRubyの勉強をしました。仕事を辞めて日本でオフラインのスクールに通うという選択肢もありましたが、「収入のない状態でプログラミングを学習し続けるというのはメンタル的にキツイかな」と思い、仕事をしつつオンライン受講という形を取りました。

マニラの会社はホワイトだったので、17時半に仕事が終わり、ご飯を食べて帰宅してもまだ19時とかなんです。平日はそこから2〜3時間、土日は6時間くらい勉強していました。
生徒同士のSlackがあり、「課題終わりました!」など他の受講生が課題を提出しているのを見ると焦りましたね。

勉強は辛いことも多かったですが、仕事を変えたいという強いモチベーションがあったので、自分で自分を追い詰めながらひたすら勉強をしました。
スクール修了時には、簡単なWebアプリが作れるくらいになりました。

2社掛け持ちでエンジニアとしての実務経験を積む日々

──スクール修了後はどうされたんですか?

スクール修了と同時に会社も辞め、エンジニアとして就職するためにマニラのIT企業を探しました。しかしこれと言った求人は特になく、日本へ戻って鎌倉にあるWeb制作会社に入社しました。その会社は将来的に海外進出を考えていて、自分もその一旦を担えるかもしれないという話があり、それが入社の決め手になりました。当時は鎌倉にあるシェアハウスに住んでいました。

ただ入社はしたものの、エンジニアとしての経験が浅いためプログラムを書く機会があまりなく、海外進出の計画もなくなり、結果的に10か月で退職しました。

この鎌倉の会社で働いているときから、週末は自社プロダクトを作っている都内の会社にアルバイトとして通い、プロダクトの開発に携わっていました。鎌倉と都内の往復生活は体力的、メンタル的に辛かったですね…。

鎌倉の会社を退職した後も、この都内の会社で仕事を続けました。それにプラスでスクールから仕事を紹介され、それぞれ週4と週3で仕事をしていました。週7なので休みがない状態ですね。2社並行でかなりしんどかったですが、「経験を積まないと」という一心でした。

 

晴れて出社生活を卒業、信頼を重ねリモート勤務を獲得

──それはきつそうですね。その後どのようにして現在のリモート勤務を手に入れたのですか?

この2社並行生活を数か月間続けた後、鎌倉勤務時代から働いていた1社に絞り、週2で出社、週3でリモート勤務の生活を半年間しました。その会社の社員は完全リモート勤務をしている人もいましたが、自分は比較的新しいメンバーだったこともあり、最初のうちから完全リモートというのは叶いませんでした。

その間会社の人に何度も「近いうちに海外に出たい」と伝えていました。「海外に出たいキャラ」を刷り込んでいった感じですね。
最終的には「もう3か月後の航空券を取ってしまいました」と宣言。これまでの仕事ぶりで信頼が得られたこともあり、会社側が完全リモート勤務を受け入れてくれて、無事出社生活を卒業しました。

──そうして今バンコクに滞在しているのですね。なぜバンコクを選んだのですか?

Twitter上で、GAOGAO含めて日本人エンジニアがたくさん居そうなので面白そうな場所だなと思ったからですね。マニラに住んでいたこともあり、バンコクへの抵抗はゼロでした。
バンコクの後はどこに行くか未定です。

──バンコクではどのような暮らしですか?

平日は1日8時間程度仕事しています。自社プロダクトであるチャットボットのサーバーサイドエンジニアとして、Ruby on RailsやPHPでプログラミングをしています。

現在は GAOGAOハウス に滞在しているので、ハウス内のコワーキングスペースで淡々と作業をしています。出退勤は自己申告制で、アプリで管理しています。

──バンコクの良い点悪い点はどんなところでしょうか?

良い点を挙げると、電車があって移動がしやすい、日本食のコスパが高い、比較的治安が良い、ネット環境が良い、という感じですかね。
バンコクならではのマイナス点は思いつかないです。マニラを経験しているので求めるレベルが高くない、というのもあるかもしれないです…笑

──そもそも海外に居たい理由は何なんでしょうか?

日本の気候が合わない、というのが1番の理由です。自分は重度の花粉症なので、毎年春は辛かったです。寒いのも苦手ですね…。

あと、日本とは違う文化や環境に触れるのが楽しいですね。海外に居ると日本の価値観にとらわれずに済む、という点も大きいです。精神的に自由で居られるという感じですね。
逆に、自分はその国にとって外国人なので、手続きなどで色々と不便に感じることは、当たり前ですがあります。

──今後の目標はありますでしょうか?

エンジニアとしての技術力を上げることは前提で、社会にインパクトのある、人の生活が便利になるようなサービスを作っていきたいです。起業を含め考えています。

──ありがとうございます。それでは最後に、海外でチャレンジしたいクリエイターへひとことお願いします。

特に若い方で、退路を絶ってから何かに挑戦するパターンが多いと思います。それで上手く行けばもちろん良いですが、上手く行かなかった場合のダメージはかなり大きいかと。失敗をしても戻れるような選択肢を先に自分で確保してから挑戦した方が、仮に上手く行かなかったときのダメージが少なくて済むので挑戦しやすくなるかと思います。

また挑戦すると言っても、自分の年齢や持っているスキルなどによって売れるものが変わってくるので、自分の置かれた状況を客観的に見て戦略を組み立てるのが良いと思います。
エンジニアの場合、技術力があれば海外でも仕事はいくらでも選べると思います。
頑張ってください!

 

編集後記

かぬさんは「世界の好きな場所で働きたい」という一貫したポリシーのもと、要所要所で時間とお金を投資し、日本⇨海外勤務、営業・企画職⇨Webエンジニア、とキャリア転換を実現しました。

かぬさんのプログラミング学習や、勤務先からの信頼を重ねてリモート勤務を獲得するまでの取り組みは、同じくエンジニアとしてリモート勤務を実現したい方に参考になるかと思います。

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